眞徳寺について

松濤山眞徳寺創立と由来

遠く明治33年、中士幌の地に来た十勝最初の法灯を灯して以来120年の年月が流れました。開基住職、楞範(りょうはん)は、開拓小屋に一幅の開教本尊を掲げ、昼日中は開拓民と共に開拓に従事し、また開拓子弟の教育に力を注ぎ、夜は布教伝道に励んだのであります。

片手に念珠、片手に鍬を持った半農半僧の姿は、宗祖親鸞聖人の関東・稲田での姿を彷彿とさせるものがあります。

時は流れ、大正4年本堂建立の機運が高まり、北十勝最古の本格木造本堂を造営すべく、当時100戸にも満たない檀信徒の総力を結集して、用材は広く北十勝一円にもとめ、厳冬には用材の伐採に、また運搬に、盛夏には本堂建設に労力をおしまず、特に本堂の九間半通しの梁の用材は、あまりの巨木のため、馬で曳くことができず、人力で氷結した音更川を渡し、夕刻せまる幹線15号のさしかかったころ、百数十名の老若男女が参集し、口々に念仏をとなえ巨木を曳いたとあります。そうした不屈の信仰が実を結び、5年にわたる難工事の末、現本堂が完成しました。

その後、昭和12年、現在地に本堂を移築再建し、第2世住職、了昭(りょうしょう)は10年の永きにわたる戦地とシベリヤ抑留より帰山し、檀信徒のお力を支えに仏具を揃え、七堂伽藍(しちどうがらん)の整備に奔走し、本堂屋根を銅板にふき替え、本堂の永久保存の礎を築きました。

平成12年、開教100年を機に本堂内陣の御荘厳がなり、100年目にしてお御堂を完成させていただきました。 開教120年を迎え、開教の原点を忘れることなく、全ての人々に開かれた念仏の道を多くの方々と共に歩んで参りたいと念じております。

合掌
眞徳寺住職 松浪浩之